溝口梓里の日々精進

他者のプライバシー保護を重視するので、激動の日記にはなりません。個人的信念の吐露と、公開型の書籍・講演・試験への感想とが、主な内容。

司法試験合格者諸氏のお役に立てそうな体験談を一つだけ語る。

第1 総論

 本日は令和6年の司法試験の合格発表日である。

 私は司法試験合格にもその後の諸手続きにもそれなりに多くの思い出があるが、わざわざ世間に語るべき話は少ない。性格上あまり先輩面もしたくないし、過去の成功体験にこだわって未来への精進を怠りたくもない。

 それでも例外的に合格者諸氏諸氏のお役に立てそうな体験談が一つだけあるので、本稿では大急ぎでそれのみを伝えておく。

第2 不動産屋との思い出

 修習地が決まったあと、現地の不動産屋と連絡をとり「この条件で探して」と依頼をした。

 不動産屋からは年収を証明できる書類を出せと言われたので、当初の私は馬鹿正直に司法修習生の採用通知のコピーだけを送った。これで修習生としての給付金や住居手当を証明したわけである。

 しかしその数日後に「ちなみにそのまた翌年以降の年収を推定させるものとして、内定通知書もありますよ」と電話で語ったら、「大急ぎでそのデータも送って!」と言われた。

 後知恵でよくよく考えたら当たり前の話である。まず「司法修習生」なんてものの世間での知名度は低く、その名称を知っている人でも「年収とは別に、ほぼ無条件・無利息で毎月10万円借りられる地位である」ということまで知っていることは稀である。かつ現代の大家は借地借家法のせいでそう簡単に借家人を追い出せないのである。だから「一年後に無職になるかもしれない年収約200万円の得体の知れない人物」だと思われてしまうのは大損である。

 もちろん「司法修習生とは何であるか」や「その就職率と翌年以降の平均年収」を知っている凄腕の大家や賃貸保証会社も多いのであろうが、選択肢をより広げるためには、凄腕ではない人にまで自分を信用してもらうための情報を自発的にどんどん提供すべきであったのだ。

 今の住所に住めることになったことが内定通知書の威力があってこそだったか否かまではブラックボックスであるが、不動産屋との雑談の中で偶然にも内定通知書の話を出したのは確率論的に考えて会心の一撃だったと思っている。

 内定先には感謝したいことが数多くあるが、このエピソードもまたその一つである。

第3 教訓

 この一件から、以後の司法試験合格者諸氏のお役に立てそうな二つの教訓を得た。

 「裁判官・検察官・即独・非法曹が第一志望だったとしても、修習地が決まるまでに就活をして、内定通知書をもらっておくに越したことはない。少なくともお部屋探しをスムーズにする効果がある」

 「自分ではその地方の物件に約一年間しか住まないつもりであっても、折角学んだ借地借家法の知識を活用して貸す側の立場も考えるべきである。そして内定通知書を既に持っているのならば、その話題を自分から出すべきである」

長年躊躇してきたドラッカーの著作群を、読み始めるに至った経緯

第1 総論

 日本では根強い人気を誇るドラッカーの著作群については、長年「拒絶」ではなく「躊躇」してきた。忌避への願望が100とすれば、挑戦への願望も90ぐらいはあったのである。

 これが最近になって、挑戦への願望が急に110ぐらいになったので、読み始めた。

 これを書いている現時点において、すでにダイヤモンド社から三分冊で出ている上田惇生訳『マネジメント――課題、責任、実践』をざっと読み終えた。今後も折に触れて再読していく予定であるし、ドラッカーの他の著作もどんどん読んでいく予定である。

 本稿ではこの心境の変化の経緯を語る。

 第2章では忌避感の理由を語り、第3章では昔から持っていた挑戦心の理由を語り、第4章では最近になってから新たに挑戦心が強化された原因を二種類語る。

第2 忌避感の理由

 ある学問において、過去に一世を風靡した「古典」が「現在どの程度役立つか?」は、ケースバイケースである。特に「使用目的」に大きく左右される。

 極端な例を挙げると、「学説史を書くため」や「著者の伝記を書くため」や「書かれた当時の語彙を分析するため」ならば、古典はほぼ常に役立つ。

 一方で「本日からでも、現実分析に役立てるため」に読む場合には、「現在のその学問におけるその古典の扱いの実態」を学術面・実用面ともに、ある程度把握しておく必要がある。

 学術面では、最新版の『甲学入門』を数冊読めばいい。特に目次と索引に注意する。

 実用面では、「その学問を使った資格試験の対策本の分析」が役立つ。その学問の何を暗記すると「経済社会における即戦力」と相関関係が強いかが、かなり強く反映されているからだ。素人の分際で多種多様な資格試験を分析してまわるのは困難であるが、玄人がまとめた対策本で何が重視されていて何が軽視されているかを分析するのは簡単だ。同じく、特に目次と索引に注意する。

 「現代におけるドラッカー」についても、このノウハウを使った。なお「実用面の分析」のほうは、かつて司法試験と並列的に目指していた中小企業診断士の一次試験対策の「ついで」として、自然に終えることができた。

 そうして、「基本的にその主張には数学的根拠が書かれていないので、現代の学問・実務の両面において引用されることはほぼ無く、随筆のような扱いを受けている。間違っていた箇所は廃棄され、結果的に正しいことを言っていたと判明した箇所も現代では別の根拠や数式で優雅に表現されている」という結論に達した。現代の心理学におけるフロイトが、これに似た存在である。

 以上が忌避感の理由である。

第3 挑戦心の理由

 欧米の法律系のエリートとの法的交渉に際しては、決め台詞として使える有名なラテン語法諺を複数知っていると便利であると、先輩諸氏からしばしば教えられてきた。そして「共通知識が力を生む」というこの構造は、法律の世界だけではない。

 自分で会社を経営をするには迂遠だと思った古い本であろうとも、「現役の日本の経営者たちが、経営理念レベルの勘を鍛えるために、よく読んでいる本」の内容を教養として把握しておくのは、説明や説得の際に強い武器になる。

 個人的にその最たる例だったのが、日本の経営者に大人気の『孫子』である。

 「現状を分析するに、同業他社と酷似した商品で低価格競争だけをすると共倒れになるので、非価格対応の戦略も採用しましょう」と主張する場合には、「つまり「百戰百勝ハ善ノ善ナル者ニ非ザルナリ(謀攻篇)」ですよ」と加えると、現代日本では説得力が増すというわけである。

 ドラッカーの著作群もまた『孫子』同様に実際に多くの日本人経営者に読まれている。その現状自体がこの著作群に「読む価値」を与える。まさに「教養としてのドラッカー」である。

 忌避感を100とすれば、この威力への期待感が90ぐらいあったというわけである。

第4 上乗せの理由

1 内定先の事情

 内定先の経営陣の間で、今後ドラッカーの著作の内容が前提となりそうだという情報を掴んだ。

 ならば一般論としては90ぐらいだった効果が、私の人生に限っては100ぐらいに膨らみそうである。

 これが上乗せの理由第一である。

 大久保利通にも、囲碁好きな島津久光薩摩藩の最高実力者になってからは、献策の機会を作るために自己の棋力を最大限に活用したという話が遺されている。

2 長尾龍一氏ファンとして

 20代のころの私は、実定法学の授業で自明の前提とされていることの多くが自明とは思えなかったために、一度は挫折した。

 そんな私の唯一の救いが、世間では自明とされているようなことにも問答をしかけていく気鋭の法哲学者の長尾龍一であった。長尾氏なかりせば、私は同郷にして同門の大先輩のように「法哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。授業は全部「不可解」で、成績も「不可」ばかりだ!」と言い残して滝に飛び込んでいたと思う。この件については、いつか別稿で詳細に書く予定である。

 長尾氏の著作に救われて以来、私は長尾氏の主な研究対象である諸子百家ケルゼンにも興味を持つようになり、そのことで人生計画が大幅に(変わ・狂)った。

 法学から離れて東洋哲学を研究して修士号までとったのは、長尾氏の影響の諸子百家の側面の効果である。

 最終的には法学に一定の納得がいって法学の世界に戻り司法試験に合格したのは、長尾氏の影響のケルゼンの側面の効果である。

 さて、前述の「上乗せの理由第一」によりドラッカーを読むか否かの迷いがほぼ五分五分になったことで、またドラッカーについて調べ始めたところ、ドラッカー学会代表を務めたこともある三浦一郎ドラッカーの周辺」という題の論文に偶然出会った。その論文の第5章「ハンス・ケルゼンとドラッカー――仮想敵としてのケルゼン」では、長尾氏の業績を引用しつつ、ドラッカーは義理の叔父であるケルゼンを思想上の仮想敵にしていたのではないかという仮説が展開されていた。

 これでドラッカーへの個人的興味が高まった。ケルゼンの義理の甥にしてケルゼンに挑んだ人物を、もっと知りたくなったのである。

 以上が「上乗せの理由第二」である。

持病寛解一周年記念日

第1 「X病」という表記について

 私は自分の病歴を無理に隠したいとは思っていないので、本稿では医学の知識のある読者にかかれば簡単に「X病」の正体が見抜けるぐらいには、詳細に病状を語っている。加えて、私は日常的には、周囲に病名を正直に語っている。

 それでも本稿で、私が長年苦しんだ持病の名前を「X病」としているのは、「この程度苦しいらしい」とか「こうすればこの程度の期間で治る」等の情報が独り歩きするのを防ぐためである。

 個人差の激しい病気であるし、しかも私のは特に特殊な症例であったので、特段の配慮をしたのである。

第2 持病を認識するまで

 振り返ってみると非常に幼い頃からの症状だった気がするが、具体的にいつからかと問われると定かではない。とにかく大昔から、「暑がりの大汗かき」であり、「腹が減りやすい」人であり、「手が震えて字が汚い」人であった。

 しかし医者がそれを病気だと指摘してくれたことはなく、自分でも「個性」だと思っていた。

 たった一度だけ、人生で出会った中で二番目ぐらいにカンのいい医者が、「脈拍早いので、一度検査をしてもらいなさい」という意味の指摘をしてくれたのだが、不幸にもインフルエンザの高熱の直後だったので「きっとそのせいだろう」で終わらせてしまった。

 このため一念発起して司法試験を受けても、短答式や時間制限に余裕のある選択科目では優れた成果を出しながらも、他の論述科目ではいつも「書きたいことが書ききれなかった、事実上の途中答案」だらけになり、大失敗を続けた。

 それでも愚かなことに、法学の地道な勉強や速記の練習など、見当違いの訓練ばかりしていた。

 しかし2022年初頭から「足がガクガク震える」・「平熱が高すぎる」・「咳が酷くて水を飲むのにも苦労する」という新しい症状が加わり、「流石にこれは個性ではなく病気ではないか」と考えるようになった。

 どの診療科に行けばいいのか不明だったので、仕方なく手あたり次第に行ったところ、ついに人生で出会った中で一番目ぐらいにカンのいい医者のおかげで、「X病」だと判明した。

 普通は、X病がこれだけ酷ければ腫瘍もできるはずなのに、そうではない特殊例だったから判明が遅れたらしい。

第3 治療

 判明してからは、約450日ぐらい服薬を続け、かつある種の物質を多く含む食べ物(以下、「Y食」と表記)を我慢し続けた。

 副作用のせいかどうかは不明であるが、この期間に耳がかなり遠くなった。

 しかしどんどん病状はよくなり、2023年夏の司法試験では、最悪期の20%ぐらいまで病状は弱まっていた。「スラスラ」と流れるように(あくまで当社比)筆を走らせることができた。

 そして11月2日、ついに寛解を宣告され、半年間~一年間に一度ぐらい血液検査をすればいいだけとなった。

 その約1週間後、司法試験の結果が発表された。短答の出来栄えが過去最悪級であったのにもかかわらず、論述で速記ができていたせいで、逆に合格していた。

第4 それからの一年間

 それからの一年間は、記憶にある限り、人生でもっとも健康な一年間であった。

 多分健常者も高性能のサイボーグになれたら似たような感想を持つのであろうが、まるで疲れを知らぬ機械の肉体を得たような気分になった。

 「暑さ」や「疲れ」を感じなくはないのだが、それは過去に自分が感じていた暑さや疲れとはほぼ別物であり、同じ単語を使うのを躊躇するような別の信号である。

 この「別の信号」を理解できず、倒れるまで疲労に気づかなかったことすらあった*1

 これで少し慢心してY食の量が増えたせいであろうか、半年後に再発しかけていたようである。2024年6月中旬に咳や微熱に苦しめられるようになった。

 近所の内科では「ただの風邪」と診断されてしまったのだが、「それなら鼻水も出てしかるべきではないか?」と疑い、念のため6月28日にX病の検査・治療で名高い遠方の病院にセカンドオピニオンを受けに行ったおかげで、「再発しかけている」という血液のデータをもらうことができた。

 「再発」ではないので、薬はもらえなかった。だからやれることといえば、「Y食をさらに減らすこと」だけであった。とはいえこれを励行しただけで、9月26日の検査では血液の数値はしっかり通常モードに戻っていた*2

 もうY食の自発的な大食いはコリゴリである。会食で自分の皿に載せられたとき等に、最小限だけ頂く。

第5 三大記念日

 とりあえず11月2日は、私の人生が本当の意味で始まった最高の記念日である。

 今後も死ぬまで大いに祝い続ける。

 今日も実際に個人的に大いに祝った。流石にY食には手を出さなかったが。

 6月28日9月26日は、「だからといって暴走するな」と自分に戒める日とする。

 背後に架空のローマ人を立たせ、「おい、お前は自分が機械でも神でもなくましてデウスエクスマキナでもなく、いずれは死すべき存在であることを忘れるな!」と耳打ちしてもらう。

盟友X氏と相澤理氏との三人で会食

 前に当ブログで最新の著作*1を紹介した相澤理氏は、私の盟友X氏の盟友であり「巡り兄弟」のような存在だったのですが、今年は住んでいる市町村が同じになり、縁が深まりました。

 本日はX氏を含めた三人で会食しました。

 私は普段は味気ないものばかり食べていますが、だからこそこういう機会にはとことん美味しいものを食べ尽くします。

 お二人からは、当ブログの今後の運営方針に関する助言や感想等を色々頂きました。

 非常に楽しかったですし、大いに意気投合しました。

 鍋や「しゃぶしゃぶ」等が美味しい季節になってきましたし、可能ならば今年中にもう一回ぐらいお会いしたいものです。

ビジネス数学検定の思い出からタレスの再演へ。そしてITを見据えた次なる目標群。

第1 ビジネス数学検定1級AAA認定の思い出

 昨日の記事*1で「ビジネス数学検定1級AAA認定」という資格に触れたので、これを機にその思い出等を語り、かつ記念の賞状の写真も貼ることにした。

 私は自慢をするのは好きではないが、そんな個人的な趣向を満たすよりもクライアント予備軍の方々に能力を見定めて頂く資料を世に提出する方が、より道徳的であると最近では考えるようになったので、こういう記事も発表していく。

 私がビジネス数学検定1級の取得を志した動機は、「家庭教師として、文系の高校生のモチベーションを引き出すため」という一風変わったものであった。

 「こんな数学は一生使わないだろうし、儲からない」という生徒の主張に当初は上手に反論できなかったので、「数学が金になるケースと、その理由」を語れるようにビジネス数学を勉強してみたのである。

 漠然と勉強をしても身が入らないので、とりあえずとりわけ中高校生には権威である日本数学検定協会がやっていた、ビジネス数学検定の1級に受かることを目指した。

 受験時にはAAA認定の取得までは目指していなかったのであるが、一回受験しただけで自然に90点を超えてそのままAAAを認定されたので、以後はAAAごと名刺に刷ることにしたのである。

第2 本来的効能への機運

 この資格は長年、当初の目的通りの「文系学生に数学をやらせるための説得に、一応は根拠のある人」と思ってもらう程度の効能しかなかった。

 しかし半年後に弁護士になったら、企業の方々に「自己満足の法律論よりも、クライアントの会計をしっかり重視してくれそうな人」だと思ってもらえるという、この資格が本来持っている効能にあずかれるかもしれない。

 また弁護士業も現在では殿様商売ではないので、自分や所属事務所の経営に多少は役立てるかもしれない。

 しっかり儲けられれば、「哲学なんて金にならないじゃないか」と言われたのでデリバティヴで儲けてみせたという、あのミレトスのタレスのエピソードの再演と言えるかもしれない。

第3 数学に関する今後の目標

1 実用数学技能検定

 ビジネス数学検定では最高峰の地位にある私であるが、同じ運営元の日本数学検定協会の本来の眼目である実用数学技能検定では、序列第三位の「2級」までしか取得していなかった。これは高校二年生程度の資格である*2

 これではあまりに不格好だと思い始めたので、せめて「準1級」を一年以内に取得することにした。

 「1級」は内容以上に日程調整の難易度が高いが、これも二年以内には取得しておきたい。

2 データサイエンス数学ストラテジスト

 私が法学のせいで数学への関心が薄れていた時期である2021年9月に、日本数学検定協会はAI時代を予見したのか「データサイエンス数学ストラテジスト」という第三の数学検定を発足させていたようである*3

 何度も強調していることだが、私は去年の就活以来「ITに秀でた法律家」を目指しているので、これも是非「上級(★★★認定)」という最高峰を目指したいと思っている。

3 統計検定

 数学系の検定をやっているのは日本数学検定協会のみにあらず。

 まだ漠然とした展望ではあるが、統計質保証推進協会主催の統計検定にも、なるべく早く手を出したいと思っている。

『これだけは知っておきたい「ビジネス数字」の常識』は優秀な入門書。

第1 まず自分語り

 少々自慢めくが、私は公益財団法人日本数学検定協会「ビジネス数学検定1級AAA認定」に一発合格をした身である。マネージャーでも2級で十分とされる試験の1級で90点以上を獲得する必要があるので*1、これは中々希少価値があると思い、信用を集めるため名刺にも書いて宣伝している。

 しかし私の内心においてその立場であることの100倍以上の強さを持つ自負心は、「自分が得意と思っている分野でも、様々な(自称)入門書を虚心坦懐に読み続けてきたこと」である。

 三ヶ月章の『法学入門』がその代表例であるが、(自称)入門書には、その学問の原点と頂点とを兼ねるような優れた概論が多く、著者の全人生の集大成のような著作も多い。そこまで優れていなくても、自分が気づかなかった全く新しい切り口や視点を教えてくれやすいのが(自称)入門書なのである。

 さらには、こうしてブログをなるべくわかりやすい文章で書いたり、いつか書く入門書を構想したりするためには、如何なる分野の(自称)入門書も役立つものである。

 そんな私なので、最近尊敬する先輩が『これだけは知っておきたい「ビジネス数字」の常識』(2003 フォレスト出版)を勧めているのを見たときには、即座に飛びついたのである。

第2 長所

 図解が半分を占めるような本なので、一見するとスカスカに見えてしまう。

 しかし語られているのは、不親切なビジネス数学や会計の本ではほんの数ページで終わってしまうような内容について、「何故この指標が出来たのか」という趣旨から始まり「具体的にはこういう立場のプレイヤーに愛用される指標」まで詳細に語るというものである。

 おかげで今までの私が機械的に暗記をしていた様々な指標について、脳内で新たな意味を付与することができた。

 おそらく今までは「おい指標「甲」で計算しろ」と命令されなければ使えなかった諸概念につき、たとえば「さて今回に限ってはあの会社の一年後ではなく半年後の様子を推定したいので、普段愛用の指標「乙」ではなく「丙」も併用してみるか」ぐらいに進化できたのではないか、と自負している。

 「こんな本で入門したかった」と心から思える良書であったし、私と同じくそこそこビジネス数学ができるような人にも一読を薦めたい書であった。

第3 注意点

1 「金の成る木」問題

 68ページに「「在庫」は販売のチャンスを逃さないための「金の成る木」になります」という記述がある。

 しかしマーケティングの世界では「金の成る木」という言葉は、PPM分析(プロダクトポートフォリオマネジメント分析)において日常用語とは別の意味を持つ専門用語として使われている。

 よってこの記述は、自分で色々調べながら本書を読み始めた入門者に、無用の誤解を与えかねない。

 いくら嚙み砕いて日常用語で伝えるにしても、この種の(隣接)業界で専門用語として使われている言葉は、避けるべきである。避け得ない場合も、せめてそこに鈎括弧をつけるような真似だけは極力避けるべきである。

 お蔭で私も「いつか非専門家向けの民法関連の書を書くときに、軽々しく「善意」等と書かないようにしよう」と肝に銘じることができ、大いに他山の石になった。

2 キャッシュフローの計算の理由がおざなり

 キャッシュフローの計算は特殊であるので、慣れていない入門者は「なぜその数値を引くの」とか「一端引いたのと同じ数値を、何故時にはまた足し、時には足さないの?」という疑問を持ちやすい。

 他の指標については丁寧に計算の根拠を語りまくっている本書であるが、残念なことにキャッシュフローだけは不思議とおざなりである。

 もっと淡白な入門書は他に幾らでもあるので、この特徴を「欠点」として告発する気にはならない。

 しかし「会計について他の初歩的概念は飽きる程学んだが、キャッシュフローだけは苦手なので、このわかりやすそうな本に手を出してみよう」というタイプの読者には、「おい、やめておけ」と忠告したい。

今月もさいたまチャレンジ会に参加。私的な眼病平癒記念を兼ねて。

第1 数日前から数時間前まで

 今週は予想外の眼病で倒れました。

 幸いにも、眼科医によれば、他人にうつしてしまうものではなく、また自分の命や未来の視力に深く影響するようなものではなかったようです。でもとにかく見た目が派手なので参ってしまいました。また関係があるかどうかは不明ですが、微熱も出てしまいました。

 かつて体が弱かったこともあって「云々の症状にならないよう普段から気をつけ、それでも云々になってしまったらあの病院に駆け込もう」という用心は人一倍強いほうだったのですが、今回は予想外の奇襲を受けました。

 陳腐として馬鹿にされる結婚式のスピーチとして「人生には「上り坂」と「下り坂」の他に「ま坂」がある」というものがありますが、まさにその「ま坂」でした。

 それでもありがたいことにチャレンジ会が始まる数時間前に、見た目も体力も気力も外出できるところまで回復したので、私的な平癒記念を兼ねて会場に向かいました。

第2 さいたまチャレンジ会で英気を頂く

 毎月のことですが、さいたまチャレンジ会の参加者は立派な方々ばかりで、記念すべき良い出会いが多々ある反面、私の如き小物はやや委縮してしまいます。

 しかしこれが今月は上記の事情もあって非常にプラスの方向に作用し、「あ~、皆様からすばらしい英気を頂いた。今夜からまた粉骨砕身の覚悟でがんばろう!」という気分になれました。

 精神的な側面だけでなく、肉体的な側面でも英気を頂けました。病床ではタンパク質が不足しがちだったのですが、良質な食事で大いに供給できました。