第1 過労に気付かなかった原因の探求
一昨日の記事*1で書いたとおり、木曜日は帰宅直後に過労で倒れ、翌日が運良く実質休日だったことに救われました。
自分の疲労の蓄積に気付かなかったというのは人生で初なので、この原因をしっかり探求してみました。
人生で初であることを重視して考えるに、「二年前までより健康になりすぎたから」という結論に至りました。
少し昔語りをしましょう。
第2 二年前の夏から一年半がかりで治した某持病
遠い昔から二年前の夏までの私は、「非常に疲れやすい」という症状をもたらす、ある病気を患っていました。
しかし同じ病気の平均的な人と比較してそれを見抜きにくい事情を二つほど抱えていたので、長年医者に見抜かれず、自分でもその症状を「個性」だと思い込んでいたのです。
二年前の夏に某名医(プライバシー尊重のため実名は伏せます)に出会い、非常に強い薬を貰い始めました。その薬は副作用も強烈でしたが、私との相性が抜群で、一年後には症状は八割方消えました。さらに半年後の冬のある日、すなわち今から約半年前、ついに「寛解」を宣告されました。
以来、全てが絶好調でした。
これで「健常者が持つと聞いていた、鋼鉄の肉体を入手したぞ」と調子に乗って無理をしまくったのが、今回の失敗の原因だったのでしょう。
長年疲れやすい体質だった自分には、通常人なら「そろそろ危ないぞ」と感じるような警告を脳が感じても、「この程度の疲れは、まだまだ五合目あたり」ぐらいに解釈する習慣がついてしまっていたのだと思います。
第3 第二の教訓も得ておく
今回の件から「自分ではまだまだいけると思っても、意識的に休憩をとる」という教訓を得たのは、勿論のことです。
しかし一つの失敗から一つの教訓を得るだけではコスパが悪いです。
この件からもう一つ未然に学んだことが、熱中症予防です。
半年前まで罹っていた持病には、「すぐに暑さを感じる」という症状もありました。だから好きなスポーツといえば、すぐに体温を下げられる水泳や水球に限られていました。
この反動で、今年はまだ全然暑さを感じず、周囲が「暑い、暑い」と言って衣替えを始めても、まだ漆黒のスーツを纏って涼しい顔をしていました。これは前章で語った「まだ疲れていない」という錯覚と同じく、長年の持病への過剰適応がもたらした錯覚なのでしょう。
だから今後はまさに二重の意味で空気を読んで、周囲の人間が「暑い」と言い始めたら「そうだね、随分な熱気だね」と話を合わせ、衣替えを開始しようと思います。