日本の民衆は、刑事裁判に関して推定有罪の立場で大騒ぎをすることがしばしばある。
そしてその傾向が顕在化する度に、上から目線で「やれやれ困った連中だ」と唾棄する者も現れる。深刻に絶望して「日本と近代法の相性は悪いのではないか」と悩む人も現れる。
しかし私は、日本でも近代法の潜在的な人気は強いと考えている。
なぜならば、もしも日本の民衆が推定無罪の原則を深く知った上でそれを本当に嫌っているのであれば、「推定有罪の理想を実現するため、民主的手段で憲法と刑事訴訟法をこのように改正しよう」という、ある意味では理知的な政治運動がすでに存在しているはずである。
理知的に制度を批判せずに感情的に被疑者・被告人・裁判官といった個人を叩くに止まっているということは、学びが深まりさえすれば近代法支持の側に立つような人の数の伸びしろが大きいということだ。
ならば近代法支持者の側にとっての現状の打開策は「自己の理念を宣伝する」である。
とはいえ、その打開策が大衆誌の煽動等の強敵を圧倒するためには、一定の規模が必要である。そのための金や人員をどう確保するかとなると、これは中々難しそうである。