今年は、春に司法修習生になったこともあり、人間関係の大半は立派な学友や立派な先達や立派な未来の御客様に占められた。
人間関係が良いと幸福度も極めて高くなる。
そんな幸福を味わっているうちに、「最近の世間は、私の若いころよりも、温厚な人の比率が高まってきている気がする。仮にそうでなかった場合は、私の側で若いころよりも円熟して、人柄が丸くなったということになる。あるいはその二つの事情が同時に起きたのかもしれない」という、かなり短絡的な三大仮説を本気で信じかけていた。
今にして思えば、これは浄飯王が作った小型の楽園の中で満足していたようなものであった。
年末になって、決して泡沫政党ではない勢力出身の三重県議会議員が「逆転無罪が許される司法であってはならない」と公言しているのを見せられた。
そうだ、そういえば、こういうのが世間であったのだ。そして私は、こういう種類の権力者に苦しめられているような人を救うために、司法試験を受けたのだった。そうしっかり思い出せた。
これを端緒としてこの年末のほんの数日間で、少なくとも三方面において世間の様々などす黒さを、連続して見せつけられた。まるで私に「偽りの狭い楽園で安逸を貪らず、その外に出て天下の万民を救え!」と時代が語っているようであった。
まさに四門出遊の故事の如くであった。
私は三門の外に偶然いた連中のお陰様で一年間の永い眠りから醒め、来年から第四門の外にいる同志たちとともに泥に塗れながら公正と信義のために戦う決意ができたのである。
「貴様風情が自分をお釈迦様に喩えるな」というのであれば、比喩の対象は漫画版『風の谷のナウシカ』の初代神聖皇帝でもいい。