溝口梓里の日々精進

他者のプライバシー保護を重視する予定なので、激動の日記にはなりません。個人的信念の吐露と、公開型の書籍・講演・試験への感想とが、主な内容になる予定。

「「被害者への同情」から出発し、「犯罪の抑制」をゴールとし、「加害者側の事情の探求」を手段とする」、これが私が孟子から学んだ信念。

 有名な大犯罪者の生い立ちに同情するような内容の弁護活動や書籍には、「加害者より被害者に同情しろ!」という批判が強い。

 そうした批判をする人の気持ちは大いに理解できるし、私自身が加害者より被害者に同情するような性格である。

 しかしこの「被害者への同情」を出発点とするとき、私は次に「未来における類似の犯罪を減らしたい」という思いがわいてくる。

 その目標達成の手段の一つに「その事件の加害者への厳罰による一般予防」があることも否定しない。それはそれで検察官に尽力して頂きたい。

 だが目標達成の他の手段として「この加害者はなぜこんな行動をするような人間になったのか?」の探求があることも事実なのである。弁護士やジャーナリストが努力して「この人が犯罪者になった原因として、こういう可哀想な生い立ちがあったのです」という情報を発信できれば、それが政治や教育に影響を与え、未来における類似の悲劇を減らすことにもつながるであろう。

 『孟子』梁恵王上の孟子は、目の前で生贄にされる牛に同情してその命を救った斉の宣王について、その出発点だけは「仁」と褒めている。一方で牛を救うために代わりに羊を殺したという短絡的な「手段」については批判的である。

 同様に私も、「被害者への同情」という「仁」から出発した人々を褒め自分もここから出発するが、その「仁」を今この瞬間は目の前にいない未来の他の被害者にも及ぼして「犯罪の抑制」をゴールとするよう呼び掛けたい。そしてその手段の一つとして「加害者側の事情の探求」も活用していきたい。

 ついでに言うと、「東京大学 人文社会系研究科 アジア文化研究専攻 東アジア思想文化専門分野 修士課程」(長過ぎて自分でも暗記できない)で学んだという経験については、現在ではまだ「溝口クンは、法律家になるまで随分と遠回りをしたんだね」という評価が大半であるが、本稿のような発信を続けることで多少は世間から違った感想を頂きたいと思っている。