溝口梓里の日々精進

他者のプライバシー保護を重視する予定なので、激動の日記にはなりません。個人的信念の吐露と、公開型の書籍・講演・試験への感想とが、主な内容になる予定。

中原翔著『組織不正はいつも正しい』は、大組織の中で「うちはワンマンでないから大丈夫」と思っている人こそ読んでほしい。

第1 読書の動機

1 講演の予習

 約一か月後に著者の講演を聞くことになったので、その予習として読んだ。

2 自身の大組織入りの予習

 約八か月後に自身が大組織の一員になることが内定しているので、その予習として読んだ。

第2 内容紹介

 昔の組織不正観が「悪い人がいて、その人が自己利益のためにこっそりやる」というものだったのに対し、今では「各セクトが、そのセクト限りでの「正義」を追い求めた結果として、全体において組織不正になる」という考察が主流になってきているという話がまず紹介される。

 また日米を比較すると、日本では後者的タイプの組織不正が現実にも多いという話が、途中で登場する。

 この考え方を前提にして、日本で起きた数々の組織不正の具体例が紹介されていき、最後にこの種の複雑な不正問題への処方箋が語られるという構成になっている。

第3 特に評価したい点

1 大川原化工機事件の法的問題を理解した上で、かつより深く問題を分析

 第五章では、多くの法律家が国の責任を追及している大川原化工機事件が取り上げられていた。

 この事件における警察・検察の法的な問題点の指摘は、日弁連などが主張している内容*1を正しく理解したものとなっている。

 かつその上で、法律家からは中々語られない「訴外」的存在である「問題点を最初から理解していたのに、ゴリ押しに敗けた経済産業省・良識的警察官」といったプレイヤーの振舞いも深く分析されていた。

 この種の事件については、個別の事件の事後の効率的な救済だけならば法律家こそが最高の専門家であるが、未来の同種の事件を質・量ともに減らすための取り組みとなると、やはり著者の様なコンプライアンスを専門とするタイプの経営学者こそが最高の専門家なのであろう。

2 「手段」としての女性取締役活用という珍しさ

 「女性をもっと取締役にしよう」という主張については、私はこれまでそれを推進する結果の平等主義者の声と、それを批判する機会の平等主義者の声しか聞いたことがなかった。そしてどちらも聞き飽きていた。

 しかし著者が終盤で語った組織不正の処方箋の中には、「手段」としての女性取締役活用という、珍しい考え方が語られていた。

 これは広い意味では「反平等主義」ですらあるのだが、平等主義内部の二大派閥の抗争に飽きていた私としては、貴重な新しい意見に思えた。

第4 感想

1 「うちはワンマンでないから大丈夫」の終焉

 本書で紹介された「各セクトの狭い正義の総和が不正になり得る」という問題は、会社の全部門を理解して一元的に強力に支配してる「オヤジ」さんのいるような中小企業では、基本的に発生しない問題である。

 「うちは大組織であり、権限もしっかり分散されているから、不正を好き放題にできる独裁者なんか存在しないよ」と安心している人は、気付かないうちに本書型の不正の主役や脇役になっているかもしれない。こういう立場の人にこそ、しっかり読んでほしいと思った。

2 日本型の敗戦の問題にも通じる

 第二次世界大戦中、ドイツは強力な独裁者に支配されていた。

 一方でその同盟国である日本では、「総理大臣は陸軍大臣を支配できず、陸軍大臣は陸軍内の強大な部門を抑えられず」といった権限の極端な分散が起きていた。そして各部門がそれぞれその部門限りの正義を追求したため一国としての纏まりがなく、「陸海内ニ争ヒ、余力ヲ以テ米英ト戦フ」という有様であった。これを憂いてドイツ型の体制への転換を目指した極右の中野正剛などは、東条政権によって弾圧の憂き目に遭っていた*2

 両国はこのように非常に対極的な体制であったが、敗戦という結果はほぼ同じだったことは周知の通りである。

 本書を読んだのが八月中旬であったこともあって、「うちはワンマンでないから大丈夫」という単純な安心感のもたらす害悪がいかに大きいかを自然と認識できた。

第5 セットで読みたい『社会問題化する組織不祥事』

 本書を読み一気に著者のファンになったので、前著『社会問題化する組織不祥事』も図書館で借りた。

 こちらは博論を元にした内容であるため、内容は抽象的であり、文体は読みやすさより厳密性が重視され、先行研究の紹介も非常に丁寧であった。

 故に本書とセットで読めば、遺漏がほぼなくなるだろうと感じた。

 もしもコンプライアンス部のような部署に配属されたら、こちらも私費で入手しなおしたいものである。