溝口梓里の日々精進

他者のプライバシー保護を重視する予定なので、激動の日記にはなりません。個人的信念の吐露と、公開型の書籍・講演・試験への感想とが、主な内容になる予定。

完璧な結果だったからこそ、「受けてよかった健康診断」。薬の量を半分へ。

第1 健康に自信を失いかけていたこの二か月間

 六月後半に体調を崩しました*1

 前にも書いたことですが*2、私は去年の11月まで長年「病弱キャラ」でした。このため自分の健康への自信を失いやすい性格です。「やはり私には健康なんて無理だったのかも」と思いかけていました。

第2 健康診断の結果が届き、一気に自信回復

 そんな不安な日が続いていたのですが、昨夜帰宅して郵便受けを見ると、健康診断の結果が入っていました。

 これは現在住んでいる自治体の援助により、ほぼ無料で受けた診断でした。

 結果を読むと、異常値というものがほぼ存在せず、一点だけあったものも正常値との差が7%に過ぎませんでした。

 ここまで完璧な血液というものは過去の人生で見たことがなく、一気に自信を回復することができました。

 昨日までは猛烈に眠くなる副作用の薬を朝晩一錠ずつ飲んでいたのですが、手始めにこれを夜だけにしてみようと思います。これで生活のリズムが朝型になれば、それ自体がまた次の健康を呼び寄せることでしょう。

 面倒でも健康診断に行った過去の自分と、そういう無料の診断を用意していてくれた現在の自治体の先駆者たちに、大いに感謝です。

第3 健康診断は、結果がどちらでも利益になると知った。

 最後は自分語りから少し離れて、この件で学んだことを公共に還元します。

 「健康診断を受けよう」という主張の啓発マンガなどでは、「癌等の重病の早期発見により一命をとりとめた」という内容が描かれることが多いです。これはこれで非常に重要な機能だと思います。

 しかし機能がこれ「だけ」だと思い込ませてしまうと、完璧な結果だった場合はまるで「保険のかけ捨て」と同じく「結果的には心配して損でした」という雰囲気になってしまいます。そうすると健康診断の魅力も本来より半減してしまい、心配性の人しか来なくなってしまいそうです。

 今回の件を機に私は、健康診断の真の魅力とは「不合格なら救命の機会が付与され、合格なら自信が付与される」というどちらに転んでも必ず大きな利益になるところにあるのだと、考えるようになりました。

 この論法は個人的に家族にも友人にも使っていきたいですし、行政等にはカドが立たない範囲でよいので何らかの形で真似をしてほしいものだと思っています。

 ただし自信は「過信」につながりやすいので、表現には十分注意した上で。